科学教育研究協議会が編集する月刊誌 「理科教室」2020年12月号(本の泉社刊、909円+税)
特集「火山と関わる」に「富士山でみる火山の学習」を書きました。
その火山地形の見学地を、火山学習の内容を含めて紹介します。
「理科教室」の記事より、各項目で内容を増やして掲載します。
【目次】
(1) 静かになった富士山頂火口
(2) 激しい噴火の跡を残す宝永火口と地震
(3)貞観噴火で裾野を埋めた溶岩と樹海
(4) 流れやすい溶岩流がつくる地形
(5) 特徴的な富士山の側火山 (6) 富士山の形を壊す崩壊地形
(7) 富士山のハザードマップ (8) 富士山に関する学習施設
各地で見た富士山の姿 → (ここをクリックしてください)
各地で見た富士山からの湧水 → (ここをクリックしてください)
富士山は成層火山です。山頂火口から溶岩とテフラ(火山灰や火山れき等の火山砕屑物のこと)が繰り返し噴出し、降り積もってできました。日本の成層火山は、主に安山岩でできた火山がほとんどですが、富士山や伊豆諸島の火山は玄武岩が主となっていて、マグマの性質に違いがあります。
富士山が玄武岩質なのは、富士山の地下で裂ける方向の引張り力がはたらいていて、マントル上部でできた本源マグマ(玄武岩質マグマ)が、あまり変化を受けずに、多量に浅いところまで上がってきているとも考えられています。
火山活動や火成岩と化学的な性質について →
別の記事「火山で何をどう学ぶか」を見てください。
富士山の構造と噴火の歴史 →
別の記事「富士山の火山地形の見学」を見てください。
写真地点1 剣ヶ峰と旧測候所
(後にレーダードームは撤去)
富士山頂の火口
現在の富士山の山体を覆う新富士火山(約1万1000年前以降に噴火)のうち、2,200年前以降は山頂から噴火することはなくなりましたが、理由はわかっていないようです。ただ、平安時代にも、山頂に沸騰する火口湖があるという記録(「本朝文粋」)や、溶岩湖か火映現象(高温の噴出ガスで夜間に赤い光が見える)があったと考えられる様子が「更級日記」に書かれているそうです。その後も山頂火口では、熱気や噴気活動もあり、1950年代までは続きました。
富士山頂の火口の周囲は、90分ほどで歩いて回ることができますが、20歳代だったかっての私は、山頂で寒さと体力と時間の関係でとてもその気にはなりませんでした。
(2) 激しい噴火の跡を残す宝永火口
宝永火口は、一番新しく富士山が噴火した跡で、1707年12月16日のことでした。この噴火で多量の噴煙が成層圏まで上がり、冬の偏西風で運ばれた火山灰の影響で、約100km離れた江戸でも昼間に真っ暗になり、火山灰が4cmも降り積もりました。約75km離れた鎌倉では石が降ったという記録があり、最大で2cmの軽石が見つかっています。富士山の東麓では2.5mの厚さにたまったスコリアの下から、当時の農家が発掘されています。また、降り積もったスコリアの影響で、静岡県東部の黄瀬川や、神奈川県では西部の酒匂川を初め県内各地で繰り返し洪水が発生しました。
(注:火山噴出物で多孔質の岩塊のうち、暗色のものを「スコリア」、白っぽいものを「軽石」という)
写真地点2 第1火口入口 火山弾 火山れき・スコリア (植物はオンタデ)
この噴火は、よく調査が行われている新富士火山の新期溶岩類(3,200年前以降)によると、この期間で2番目に大規模なものでした。しかも、噴出物はほとんど溶岩が破砕された降下テフラ(火山灰やスコリア)で、新富士火山ではめずらしい最大規模の爆発的噴火でした。
宝永噴火は、まず第3火口から始まり、第2火口、第1火口の順で噴火しました。宝永山は、その途中で古富士火山の火山灰層が持ち上げられたものです。
この噴火の初期には、富士山では珍しくデイサイト質・安山岩質の軽石が噴出していましたが、その後は、玄武岩質のスコリアが多量に噴出しました。原因はよくわかっていないのですが、マグマだまりでの結晶分化作用の進行や、その下からのマグマの新たな供給があったとも考えられているようです。
宝永噴火の2か月前の1707年10月28日には、マグニチュード8.7の巨大地震である宝永東海・南海地震がありました。この地震の後に富士山の下で火山性群発地震が記録されています。また、この4年前の1703年12月31日には、マグニチュード8.2の元禄関東地震がありました。このときも富士山の下で群発地震があり、マグマの上昇があったと考えられますが、噴火はしませんでした。
巨大地震と火山の噴火の関連が言われていますが、まだまだ研究中ということでしょう。
宝永火口へは、富士宮口の五合目から六合目まで登り、そこからなだらかな道を進むと第1火口の縁にでます。そこから火口底まで降りられます。合計30分程度の道のりです。火口内はやや大きめの火山れき、ガラガラしたスコリアでおおわれていますが、火山弾が見つかることもあります。
富士山五合目では、菓子袋がパンパンに膨らんでいるのを見ることができます。工場で袋詰のときの内部は1気圧なのに、高度2,400mの五合目では周囲が約0.75気圧であるためです。この袋を平地に持ち帰れば、普通の状態にもどります。
(3) 貞観噴火で裾野を埋めた溶岩と樹海
平安時代初期の864年から867年まで続く貞観噴火は、富士山の北西側の中腹からの大規模な割れ目噴火です。新富士火山のうち3,200年前以降では最も大規模でまれな噴火活動です。何回かいくつかの割れ目から、粘性が小さい流動する玄武岩質溶岩が多量に流れ出ました。
初めは、6月に流出した溶岩流が本栖湖の東岸に流れ込みました。7月には、ふもとにあった「せの海」という大きな湖に達して、10月には大規模に埋め立て、せの海は西湖と精進湖の2つの湖に分割されました。西湖と精進湖の間で行われたボーリング調査では、厚さ135mの溶岩流の下からかっての湖底の泥の層が見つかっています。
写真地点8 ジラゴンノ運動場裏の溶岩流(鳴沢村)
写真は鳴沢村の富士緑の休暇村の裏にあるジラゴンノ運動場の裏側で、説明の看板も設置されています。この高さ数mの崖は、流れて来た玄武岩質の溶岩流の冷えたものです。色は暗色で斑晶(岩石の中に見られる大きめの鉱物結晶でマグマだまりで冷却中に晶出を始めていたもの)が目立たない溶岩でした。溶岩の下にある空隙は赤茶色のテフラで、溶岩流の前に堆積したものです。赤色は鉄の酸化物の色で大気に接して冷却し酸化が進んだことを示します。また、溶岩の中に、急冷のための空隙や揮発性成分が抜けた跡があります。
近くの国道139号の北側には、「溶岩樹型」(右写真)をいくつか見ることができます。これは、流れてきた溶岩が木の幹を取りまき急冷し固まったとき、木が燃え尽きて空洞が残ったものです。これは、流れやすい溶岩に短時間で取りまかれた結果です。
同様に、流れやすい溶岩であるためにできた溶岩洞窟があります。溶岩の表面が固まったとき、まだ溶けた状態の内部が下方に流れ出してできます。この付近には、西湖こうもり穴、富岳風穴などがあります。
下の写真は、溶岩流が湖に流れ込んだところです。西湖、精進湖、本栖湖で見られます。
写真地点9 西湖への溶岩流の流入(富士河口湖町)
写真地点10 本栖湖東岸の溶岩流の末端(富士河口湖町)
この多量の溶岩の上に、青木ヶ原樹海という広大な森林ができました。ツガやヒノキ等の針葉樹とミズナラ等の広葉樹の混成林で、人手が加わっていない原生林です。樹海を上方から見るには、富士吉田口の富士スバルライン樹海台駐車場等や、鳴沢村の紅葉台から見ることができます。樹海遊歩道は、西湖こうもり穴付近に起点があります。
写真地点8 紅葉台からの本栖湖方面の樹海(鳴沢村)
写真地点9 青木ヶ原の樹海内部(富士河口湖町)
(4) 流れやすい溶岩流がつくる地形
写真地点7 白糸の滝(富士宮市)
白糸の滝の崖では、下部から古富士火山の泥流堆積物、黄褐色ローム層、上部は新富士火山初期の溶岩です。溶岩には割れ目(境)もあって水を通し、溶岩の中やその下との境から水が噴き出しています。(2023年11月に一部修正)
写真は滝の南西側の高台の展望台から見たもので、右上に富士山が姿を現しています。
同様の滝は、芝川上流の猪之頭(いのかしら)地区にも陣馬の滝があります。
この古富士火山の泥流堆積物は、富士山麓の東部や西部で広く見られ、富士山の激しい山体崩壊も示しています。富士宮市の星山丘陵や御殿場市の上柴怒田(かみしばんた)に現れているようです。
新富士火山初期の溶岩流は、駿河湾方面へも流れ、富士川東岸では東海道線橋梁下や富士宮市芝川地区で見られます。
写真地点15 東海道線橋梁付近の溶岩流(富士市)
写真は東海道線橋梁下から上流方面を見た東岸の姿で、右側の雲の上に見える富士山から流れてきた溶岩流が崖をつくっています。(尚、ここの河原に下りるのはやや困難があります)
写真地点14 県道76号逢来橋付近の溶岩流(富士宮市・富士市)
写真は、富士川西岸から見た東岸の溶岩の崖です。この付近では溶岩が河原や西岸にも見られます。正面の星山丘陵は古富士火山の堆積物でできていて、その谷間から新富士火山の溶岩が流れ込んできました。
五竜の滝は裾野市の中央公園の近くにあり、公園や住宅地の間を流れる黄瀬川の水が、十数mを流れ落ちています。この崖も新富士火山の初期の溶岩です。この溶岩流は新富士火山では最大規模で、富士山南東斜面から駿河湾方面へ流れました。
五竜の滝でも柱状節理(溶岩が冷えて収縮をするときに六角柱等の形に割れること)が少し見られますが、黄瀬川支流の佐野川にある景ヶ島渓谷の屏風岩(右写真)で見られます。この渓谷の下流部で、案内板があるところから河原に降りて草をかき分けて進むと屏風岩にでます。
写真地点17 鮎壺の滝(長泉町)
この溶岩流が黄瀬川につくる滝には、長泉町の下土狩駅から数百mに鮎壺の滝もあります。
約8mの溶岩流の下で、浸食されえぐられている部分は、西側にある愛鷹山の火山灰層です。
三島駅前の楽寿園やその周辺の公園等には、黄瀬川沿いと同じ三島溶岩流が1mほどの高さで見られます。
溶岩の先端では、特に流れやすい部分が後ろから押されて広がり、しわ状・縄状に固まって「縄状溶岩」と言うものができます。
玄武岩質溶岩でも特に粘性が小さいこのようなものは、ハワイ語で呼ばれる「パホイホイ溶岩」です。また、玄武岩質溶岩でもやや低温で粘性が大きくなると、表面がガサガサしたものになり「アア溶岩」と呼ばれ、比べてみることができるところも別にあります。
富士山に降った雨や雪解け水が、この溶岩流の中を通って三島市や沼津市に大量に湧き出しています。楽寿園の小浜池や源兵衛川、柿田川等々市街地各所で、富士山の湧水のきれいな流れが見られます。
各地の富士山湧水→
別の記事 「写真で見る富士山の湧水」を見てください。
(5) 特徴的な側火山
写真地点13 田貫湖から見た北西側の側火山(富士宮市)
写真地点15 田子の浦みなと公園から見た南東側の側火山(富士市)
山頂以外の場所からできる側火山は、小さい単成火山です。最初に掲載の富士山周辺図でわかるように、富士山の側火山は北西から南東方向に多数分布しています。地下にその方向の圧力がかかっていて、割れ目があるということを示しています。
(6) 富士山の形を壊す崩壊地形
地形は雨水や雪氷によって浸食されますが、富士山も同様でいくつもの谷ができています。特に大きな谷が発達しているのは大沢崩れで、山頂から崩壊をしています。埋まっていた樹木の炭素年代測定から、約1,000年前には始まっていたと考えられています。ふもとでは多量の砂れきが堆積し、扇状地が発達をしています。崩落の拡大を防ぐ大規模工事が行われていますが、日々崩落が進んでいるのも現状です。
右の写真は、特別な許可を得て入った大沢崩れの谷と砂防堰堤です。谷筋が浸食されたり、堰堤が土石で埋まっていました。
(7) ハザードマップ
火山噴火の開始は、2014年の御嶽山噴火のように全く予測できなかったため、多くの被害者を出したものもありますが、他方、2000年の有珠山や三宅島の噴火では、火山性地震の発生等から噴火開始が予知され、避難行動で人的被害が出なかった例もあります。
ハザードマップは過去の噴火の記録を元に、いろいろな噴火現象を考えてコンピュータシミュレーションも使って作り上げます。その際、各火山の噴火の癖も参考にします。
富士山では、主として山頂と側火山のある北西から南東方向で、新富士火山で最大規模の噴火があると仮定してつくられています。ただ、図で表す全ての範囲で同時に起こることを意味している訳ではありません。また、噴火口の位置や特徴、規模を事前に予測するのは困難があり、一定の仮定による1つの結果というべきものです。しかし、限界があることを承知の上で、可能性を知って対策を考えることは大切なことでしょう。ただ、富士山の場合は、1万年に一度程度と言われる「山体崩壊」は、被害範囲が広すぎて防災対策が立てられずマップに含まれていないとのことです。
参考:富士山火山防災マップ(内閣府 2004)
(8) 富士山に関する学習施設
・なるさわ富士山博物館(山梨県鳴沢村、道の駅なるさわ隣接)
入館無料、年中無休
・裾野市立富士山資料館(静岡県裾野市須山)
入館料210円、月曜等休み
・静岡県立富士山世界遺産センター(静岡県富士宮市)
入館料300円
・山梨県立富士山世界遺産センター(山梨県富士河口湖町)
入館無料
・富士山レーダードーム館(山梨県富士吉田市)
入館料630円、火曜休み
(9) 参考文献
・「富士山の謎をさぐる」
日本大学文理学部地球システム科学教室編 築地書館(2006)
・「富士山大噴火が迫っている!」小山真人著 技術評論社(2009)
・「新版 静岡県 地学のガイド」土隆一編著 コロナ社(2010)
・「ニューステージ新地学図表」浜島書店
※ 使える写真があるようでしたら、学校での教材としては自由に使ってください。その際に連絡はいりません。サイズの大きい画像(1MB程度)が必要ならば、連絡をください。お送りできるものもあります。
撮影・文責:長谷川静夫(科学教育研究協議会静岡支部) skrc@sf.tokai.or.jp