丘陵の上や高層の建築物など、平野を俯瞰できる場所から撮影をしてみました。
尚、静岡平野と清水平野は、平野を作る川の違いにも関わって、やや変わった特徴があります。このことは、別の記事を見てください。→「写真とともに考える静岡平野・清水平野」
(1)平野の北にある「梶原山」で見る
静岡市葵区瀬名と清水区の境にある梶原山は、鎌倉幕府の御家人である梶原景時(かじわらかげとき)が一族とともに滅びた場所です。
梶原山丘陵の尾根部で南にある梶原山公園と奥の一本松公園は、平野がよく見渡せる場所です。車で公園の下まで行けますが、細い枝分かれも多い急な山道で、散歩の方も多いやや危ない道であることに注意が必要です。
① 清水平野
清水平野、三保半島、折戸湾と、駿河湾、伊豆半島まで見渡せます。静清バイパス(国道1号線)と手前が東名高速道路です。
2つの道路の間にあるのは、巴川(ともえがわ)の大内遊水池です。巴川は、その先でほぼ直角に曲がり市街地を海の方へ流れています。
② 有度山(日本平)
南側で平野の中には、皿をふせたようなドーム型の有度(うど)丘陵が見られます。詳細は(6)にあります。
③ 静岡平野
平野の中に浮かぶのは、手前の谷津山(やつやま)と海側の八幡山(やわたやま)です。平野の北側の山地と同じ堆積層です。遠方に見える安倍川の西側の山々とは違う時代の堆積層です。
高層建築物は、谷津山の向こうが東静岡駅周辺、その右側(西側)が静岡駅周辺から浅間神社近くまでの地区です。
④ 静岡平野の奥部
写真の中央付近で横に延びる賎機(しずはた)丘陵とその下側(東側)の麻機(あさはた)丘陵との間に、左側(南側)から静岡平野が広がっています。賤機丘陵の向こう側の山地との間を安倍川(あべかわ)が流れています。
賤機山の左端(南端)(浅間神社)付近が、安倍川の扇状地状地形の扇部になり、平野部で一番標高が高く約30m、平野の奥(右側)が標高が低く約7mです。静岡平野は奥の山地側が低く、麻機低地が広がっています。その付近を通って巴川が清水の折戸湾まで流れています。約6,000年前の縄文海進の時期には、この付近まで駿河湾から内湾が広がっていました。
(2)平野の北西にある「桜峠」から竜爪山への登山道で見る
静岡市葵区の麻機地区の奥に新東名高速道路(写真の高架橋)が通っています。賤機山から竜爪山(りゅうそうざん)に続く尾根の途中でこの道路が通っているところです。
新桜峠トンネルへの道の途中から新東名高速道路をくぐって北側にでると、急な道ですが山の斜面まで舗装道路が続いています。別に登山道もあります。
① 静岡平野
手前に麻機遊水池、遠方(南側)に谷津山が見えます。その右(西)の高層建築物群は静岡駅周辺から続く場所、その左(東)は東静岡駅周辺です。さらに遠方に駿河湾も見えます。
② 安倍川と「鯨ヶ池」
写真の中央を右から左(北から南)へ流れるのが安倍川です。安倍川は河床勾配が大変急なため土砂の運搬・堆積量が多く、周辺より現河床の方が高くなっています。
手前の池は鯨ヶ池(くじらがいけ)で、凹地に安倍川の伏流水(地下水)が流れ込んでいるため、常に一定の水位が保たれます。
(3)平野の西にある「賎機山」で見る
賤機山(しずはたやま)は静岡平野の西側にあり、安倍川との間の壁になっていて、その区間は堆積物の流入を防いでいます。尾根部の頂上は150~200mほどの高さで続いています。
丘陵の尾根はハイキングコースになっていますが、見晴らしの良い場所が所々にあります。下の写真の尾根部はその一つで、静岡市葵区池ヶ谷付近です。
① 静岡・清水平野
静岡平野の西側から、清水平野や駿河湾、伊豆半島まで見渡せます。約6000年前には、駿河湾からこの平野部のずっと手前まで内湾が広がっていました。江戸時代初期に徳川家康が治水工事で安倍川を海に直結するまでは、この平野部に右側(南側)から安倍川がいくつもの流れに枝分かれして流れ込んでいました。
② 谷津山と有度山
①の写真の右側(南側)です。中央付近は谷津山とその右横が八幡山、奥側が有度山です。右端の木が繁っている場所が駿府(すんぷ)城址で、安倍川の改修はこの城を守るためでした。
③ 静岡平野の奥部
①の写真の左側(北側)です。建物がないところに麻機遊水池と予定地(田畑を遊水池にする工事が進行中)があります。その近くを巴川が流れていますが、1974年の七夕豪雨で巴川が氾濫し清水方面が浸水したため、この付近でも遊水池を作る工事が続いています。
中央の道路は、静清バイパス(国道1号線)です。
(4)平野の南西にある「持舟城址」で見る
静岡市駿河区の用宗(もちむね)地区の標高約70mの城山が、戦国時代の持舟城(もちふねじょう)の跡です。静岡平野がよく見渡せます。
上の写真の中央の川は小坂川(こさかがわ)で、用宗漁港に注いでいます。遠方に安倍川の河口が見えます。
下の写真のように、静岡平野が見渡せます。有度山を横(西側)から見ると、ドーム状の丘陵の南側が削られていることがよくわかります。
中央の道路は東名高速道路です。
(5)平野中央にある県庁別館21階の展望ロビーで見る
① 静岡平野の西側を見る
横(南北)に延びる賤機山の左端(南端)から、かって安倍川が手前側に流れ込んでいたため、このあたりは扇状地的な地形になっています。賤機山の南端近くの標高が約30mで、平野部では最も高い場所です。
手前は駿府城址です。
② 静岡平野の北側を見る
静岡平野の奥に見える高い山が竜爪山(1041mの文殊岳と1051mの薬師岳)で、そのふもとに標高が約7mの麻機低地が広がっています。
右側(東側)が清水平野で、遠方には富士山も見えます。
(6)平野の南にある日本平(有度山)で見る
平野の南にある有度(うど)丘陵で頂上部の平坦な場所を日本平と言います。有度山の山頂は標高が307mですが、日本平からは少し離れた山中にあります。
有度丘陵は新生代第四紀更新世(こうしんせい:260万年~1万年前)の中期頃(十数万年前)から隆起を始めて、北側から見るとドーム型の形をしています。現在でも年1~2mmぐらいの隆起をしていると言われています。海側(南側)は駿河湾の沿岸流に削られて急な崖になっています。削られた土砂が堆積して三保半島という砂嘴(さし)ができました。
有度丘陵の基盤の地層は、新生代第四紀更新世の初期にできた急峻な海底に堆積したものです。有度丘陵の地形は、更新世の氷河時代に、氷期の海退で浸食され、間氷期の海進で安倍川の河原となり堆積が進むということが繰り返され、ドーム状の隆起とも関わって形成されました。
① 静岡平野
西側を見ると、平野の中に谷津山、その左(南)に八幡山が見えます。奥には賤機山、安倍川とそこに合流する支流の藁科川(わらしながわ)の谷や西側の山々があります。冬には、北西方向に雪をかぶった南アルプスの峰々も見られます。
② 清水平野
北東側を見ると、清水平野と駿河湾、その先には清水の山々と富士平野や富士山が見られます。
③ 三保半島
三保半島先端付近の内側の砂嘴が、3つに枝分かれしているのがわかります。
(7) 薩埵峠で見る
静岡市清水区の由比と興津の間にある旧東海道の薩埵峠(さったとうげ)は、駿河湾や富士山の眺望が大変良いところで、ハイカーも多い場所です。細い山道ですが、車でも行けます。
中央に見えるのは三保半島で、標高が5m程度のほぼ平らな形であることがわかります。
右側で土砂がはみ出して堆積しているのは興津川の河口です。
写真・文責:長谷川静夫(科教協静岡)skrc@sf.tokai.or.jp