これは有名な「ゼノンのバラドックス(逆説)」といわれるものの一つです。
いま、ウサギとカメが競走しているとします。ウサギは速いので、ハンディをつけて、カメの後方から同時に出発するとします。ウサギの出発点をA点、カメの出発点をB点とし、AB間はどんなに離れていても、有限の長さとします。
ウサギとカメは同時にスタートします。A・B間の距離の長短によって時間の長短は出てきますが、とにかく、 しばらくすると、ウサギはカメの出発点であるB点に到達します。カメの足はのろいのですが、決して止まっているわけではないので、 ウサギがB点に達した時には、カメは当然、B点より前の方に進んだ点にいるわけです。これをC点とします。ここまでを第一段階とすれば、第二段階では、ウサギはB点より、カメはC点より出発するとして、第一段階と同様に考えをすすめていけばいいわけです。
さて、しばらくして、ウサギがC点に達した時、カメはそれより前にあるD点に到達しています。第三段階では、ウサギはC点、カメはD点より出発して、ウサギはD点、カメはその前のE点に到達することになります。次に第四段階、第五段階、…… とどんどん繰り返していくと、どこまでいっても、つねにカメはウサギの前にいることになります。 したがって、ウサギは絶対にカメに追いつくことはできない、 という話なのです。
もちろん、ウサギがカメに追いつけないという、そんなばかな話はありません。実際に、自転車は人を追い越し、自転車は自動車に追い抜かれます。時計の長針が短針にいつまでも追いつけなかったら、いつになっても昼の弁当を食べることができなくなります。それではこの話のどこに矛盾があり、どうしておかしな結論になってしまうのでしょうか。みなさんはどう考えますか。
実は、矛盾の生じる場所(つまり聞く者を惑わす原因)は、上に述べた過程で、考え方を第一、第二、第三、…… というように、各段階に分けたところにあるのです。たしかに第n段階では、nがいくら大きくても、いつもウサギはカメの後にいます。nが無限大になってやっと、ウサギはカメに追いつくことになります。そうであるのならば、ウサギがカメに追いつくには、無限の時間を必要とするわけでしょうか。ここのところに、実は論理の飛躍があるのです。
各段階にはそれぞれそれに相当する時間が対応しています。たとえば第一段階が10分、第二段階が5分、第三段階が2分30秒、…… という具合です。そうして、ウサギがカメに追いつくまでの時間は、これら各段階の時間を全部加え合わせたものです。なるほど、段階の数nは、無限個になります。しかし無限の個数nの一つ一つが持つている量を加えたものは、必ずしも無限大にはならないのです。加えるべき材料の数(数学的にいえば、加えるべき項の数)がたとえ無限に多くてもその和が有限になる場合があるわけです。これを「収束」といいます。
リンゴを20集めれば20個です。バナナを一本ずつ15回持ってくれば15本です。当たり前です。しかし我々はこの<当たり前>の話にあまりに慣れすぎてしまっています。言い換えれば、項の数とその和とが等しくなる例に親しみすぎているのです。ウサギとカメの話では、段階の数(つまり項の数)が無限大になることを、あたかも追いつくまでの時間が無限大になるかのように錯覚させているわけです。形式的に分割していった「段階」というものは、(たとえば循環小数の桁数が無限に伸びているのと同じような意味で)たしかに無限大になり得ます。しかし追いつくまでの「時間」という物理量は有限です。
このパラドツクスは、結局、「収束」ということの認識の不徹底から起こっている誤解が原因ということになります。 (参考文献;「理論物理学入門」都筑卓司著:総合科学出版)
この記事は、 退職されている長坂輝夫さんが高校に勤務のとき、 授業で「ぶつり通信」として生徒に配布したものです。以前「静岡・高校理科サークル通信」に掲載され、今回、「科教協静岡ニュース」№65(2022.11.17)に転載しました。